移住者インタビュー 松原枝里さん


地域おこし協力隊として常陸大宮市に赴任して今年(2019年)の3月で丸3年。任期を終える第1期隊員の一人、松原枝里さん。任期を終えた後も、やはり同じ協力隊として着任中の旦那さんと一緒にここ常陸大宮で生きることを決めた枝里さん。平成21年にできた比較的新しい制度を使って移住をしてきた枝里さんに焦点をあててみたい。

生きるために働くことへの疲弊

大学進学を機に上京した枝里さん。卒業後は服飾に興味があったのでアパレルブランドへ就職した。販売員として新宿、表参道、有楽町と流行の最先端を担う界隈で必死で働いた。販売員の売り上げノルマ達成は大変だ。それでも数字の達成は自分の成長だと捉えることができた。ただその「自分の成長」の先に、自分の人生を豊かにするものは見えなかった。「生きるためには働いてお金を稼がなきゃという思いが強迫観念のようにあった」と言う。しかし職場での人間関係、終わらない達成目標・・・気がつけば心身共に限界まで追い込まれ、退職せざるを得なかった。

徐々に変化していく「働くこと」「生きること」の捉え方

退職した枝里さんは日本中、様々な場所へ旅をした。単なる観光旅行ではない。WWOOF(ウーフ)と呼ばれる制度を利用した旅が多かった。基本的には同制度を利用している農家に無償で泊めてもらう代わりに労働を手伝うという交流制度だ。たまたま、学生時代にこの制度で農家さんにお世話になった時に受けたインパクトが大きかったからだ。「朝起きて、土に触れて、自分で作ったものを収穫して美味しく食べる。この経験がこれまでの人生で一番生きている実感を味わえるものだった。」ある意味、販売員時代とは真逆にある生活。他にもボランティア活動や、興味が湧く取り組みを見に行ったりしていくうちに、次第に今後の方向が定まっていった。「もともと東京へのこだわりはなかったし、出来れば田舎で生活したいという思いはあった。そこで地に足をつけた生き方をしたい。半農半Xで生きていきたいと思うようになった。」この当時に、枝里さんの中でこの言葉がまとまっていたかどうかは分からないが、現在の枝里さんはこう語る。「現代の人たちは「お金」に主権を奪われている。「お金」のために我慢して、「お金」を使って楽しみを得て、また使った分を稼ぐために色々なものを犠牲にして働く。生活の主権を「お金」から「自分」に戻せれば、もっと楽しみながら生活できる」

「半農半X」に向けて移住スタート

移住と言う選択肢を決意した枝里さんにとって、旅する中で知った地域おこし協力隊の制度は魅力的だった。「半農半X」のXはまだ決まっていない。また何の肩書も技術もなく、いきなり一人で移住のハードルは高い。協力隊の制度を利用すれば、3年間の社会的な身分が担保されながら移住に向けて、本格的なスタートが切れる。当時ちょうど募集のあった常陸大宮市に応募して第1期協力隊として着任することができた。こちらに移住してきてから枝里さんは積極的に色々な人に直接会ったり、気になる生き方をしている人の情報を集めた。「素敵だなと思う生き方をしている人たちに会って、その生き方や手法を真似ることで自分なりに「成功法」を見つけたいなと思ってました。」しかし実際に会えば会うほど感じるのは「どうすれば上手くいくという方法があるのではなく、どの人もその時に自分が一番やりたいと思ったことを素直に、一生懸命取り組んできたのだ」という事だった。半農半XのXをどうやって成功させるかではなく、自分としてXは何が一番したい事なのか?そのことを真摯に考えた時に出てきたキーワードは「モノ作り」だった。


「エビラ作り」と「綿花から生まれるものつくり」
「モノ作り」を自分の軸として生きていくことを決めた時、枝里さんが取り組みたいと思った「モノ」は「エビラ」と「綿花から生まれるもの」だった。

まずはエビラ。あまり聞き馴染みのない言葉だが、日本全国に編み方の違いはあれど存在する竹細工の籠の一種だ。おかめ笹で編んだものをこの一帯ではエビラと呼ぶ。庶民の日常道具として生活の中で編まれ、決して工芸品として日の目を浴びてきたとは言い難い。それでもその美しさと、生活必需品を自然から得られるもので編み出す精神が好きで枝里さんはエビラ作りを習い、その技術の伝播に努める。「自分で作って売ることも出来る。でも完成品を売って終わりというより自分でエビラを編み出す技術を伝えることで、その人がその後作り続けることも、更に他の人に教えることも出来る。そういう連鎖を生み出したい」彼女が開くエビラ作りワークショップは、常にキャンセル待ちだ。

「綿花」は彼女のご近所さんとの話の中で出てきたキーワードだった。「そう遠くない昔まで、自分たちで綿花を栽培し、家族の袢纏や布団を作った。嫁入りのときには想いを込めて布団を作って持たせたものだ」と。もともとちょっとした物を作るのが好きな仲間と、自宅マルシェを開催していたご近所さんと、綿花の話が盛り上がり、綿花を栽培し袢纏を作る企画が立ち上がった。こちらも服飾文化としては庶民の日常品。やはり、「自分たちの日常の中で、家族のために想いを込めて必要なものを作り出していく文化」に魅せられた。それでも「綿花」プロジェクトは、実質、主要実働部隊は枝里さんとご近所さんの2人。まだまだプロジェクトとしては始まったばかりと言ったところだ。

「好きな事を素直に一生懸命」
筆者としては枝里さんの「モノ作り」が半Xとして収入を得られるものになるのか、正直心配になるところもあるのだが、当の枝里さんは朗らかに笑う。「もともと私はそういうのを戦略的に考えるのは苦手なんですよ。今の私は作り手として技術をもっと向上させるのが一番大切だと思っています。今後関わってくれる人たちの中に戦略的に考えるのが得意な人や、広い人脈を持っている人がいると思うんです。一人じゃ全部は出来ないけど、色んな人とつながりを持ちお互いの得意なことを活かしあっていけば大丈夫だという安心感があるんです」と。そう語る枝里さんの言葉の裏には「お金に主導権を握られない」という確固たる軸が見え隠れしている気がした。そんな彼女の夢に、物作りが好きな人たちが生活をシェアしながら、一緒に面白い企画を生み出していく場所を作りたいというのがある。アートインレジデンスのモノ作り版と言ったところか。もうすぐ3年の協力隊の任期を終える彼女は、市内の住宅街にある貸家から、中山間地にある空き家に移り住む予定だ。「夫とまずは、その家に色々な人が集まるようなイベントをしたいねと話しているんですよ」と。都会で生きるために働くことから、移住を通して「生活」を「作り出す」生き方へと着実にシフトしているようだ。


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